無意味の/な話

いつかある人に、こんな曲を紹介されました。

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「絶望の中に、ほんのわずかに、希望が光っているようなのが良い」と、その人は言っていました。
他人が見ていないものを見ているような、不思議な人でした。

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人間は、「意味」が大好きな生き物です。

 

謎解きがちょうどいい例でしょう。ただそれ自体としてあるだけでは意味をなさない謎。それには答えという意味がある。謎解きがおもしろいのは、答えという意味を見出すからにほかなりません。
いわゆる「謎解き」に限らず、人間は昔から、ただそれ自体としてあるだけでは意味をなさない「自然」という謎に、「法則」という答え、意味を見出そうとしてきたのです。あるいは、意味をなさない事実の集積に、「歴史」という意味を見出そうとしてきたのです。

 

さて、人間が最もその「意味」を見出そうとする対象とは何でしょうか?

 

それは「生」です。

 

進撃の巨人』冒頭に、戦死した息子について兵団の人間に問う母親のシーンがあります。
母親は祈るようにしてこう言います。「息子の死は、人類の反撃の糧になったのですよね!?」
それにある兵士が赦しを請うように答えて曰く、「何の成果も!!得られませんでした!!」

 

人間は、自分の生が全くの無意味であることに耐えられない生き物なのです。
だからその母親は息子の死あるいはその生に何かの意味があったことを期待してああ問うたのだし、
最後の日に生の意味を充溢してくれる「神」なる何かが立てられ数多の宗教が発展してきたのだし、
わたしたちはこの世界のうちで「何者か」になれることを祈って将来の夢を語るのです。

 

人間など、ただ全くの偶然で、なぜか生まれて、それが尽きれば、元から何もなかったかのようになるだけなのに。

 

わたしたちは、何のために生きているのでしょうか。
わたしたちの「生」に、「意味」はあるのでしょうか。


あなたがどうか、「空っぽの空に潰される」ことのありませんよう――

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